めっきり春めいてきて、ぼんやり過ごしているうちに、二月も中旬になってしまった。一週間以上、何も書かず、ただ頭を空っぽにして、ぼくは季節を受け入れて過ごした。
11日の日曜日は、やや冷たかったが春一番めいた強風も吹いたが、予報は春一番は15日くらいだろうと言っている。
この一週間で一番印象に残ったのは、NHKラジオの先週木曜日に出演した大野真澄の言葉と、それを名言にして過去語ったジャズマンの言葉である。
「 世の中には2種類の音楽しかない。 いい音楽と、そうでない音楽とだ。」デューク・エリントン
この名言と同じ趣旨のことを、ガロのボーカルで音楽プロデューサーの大野真澄は、このような大意のことを六角精児に語っていた。
日本の音楽は「どうしていろいろあっちゃ悪いの?」、中津川フォークジャンボーりーで「どうしてフォークしか許容しなかったの?」・・・!
焼き肉。
戦後、あらゆるものが自由になった時代、進駐軍がありとあらゆるアメリカ自由主義にともなうフリー音楽を日本に持ち込む。それはかつて日本になかった音楽の「ごった煮」状態をもたらした。ジャズ、カントリー、フォークソング、ロックンロール、ブルース、ハワイアン・・・いっぺんに入った。
その中で最初に日本人作曲家たちが選んだのは、1940年代にブルースから発展したジャズだった。結果的に言えば笠置シズ子のスウィング・ブギとして大うけしているし、ブルースの女王・淡谷のり子も登場したし、作曲家の服部良一の独壇場時代が生まれた。美空ひばりや江利チエミでさえ、子ども時代は笠置シズ子の真似でジャズ歌手としてデビューしている。
次に流行ったのはハワイアン(マヒナ・スターズやバッキ―白片)、カントリー(小坂一也/ジミー時田)たち。
自由主義国からの音楽には越路吹雪、芦野宏らのシャンソンもあった。
要するに戦後日本は、そうした綺羅星のごときポピュラー曲のものまね、パクリ時代を経てこそ、ようやく音楽の楽しさに目覚めていったわけである。そこにオリジナルな伝統的音楽の入り込む余地がなくなったことで、演歌が登場したわけだろう。それも音楽である。
エリントンが言うところのいい音楽てゃなにかと言うと、ヒットした音楽たちだと言える。ということは聞く側が受け入れることを許せた音楽群と言い換えてもいい。そうでない音楽は受け入れられなかったことになるのかも知れない。
フォークソングが流行り始めた時代に青春時代を迎えた大野や筆者などの世代は、同時にジャズもロックもブギウギもブルースもハワイアンもカントリーフォークも、CSNYのフォークロックも、ラテンやシャンソンも、それこそありとあらゆるジャンルの音楽をいっぺんに聴き、知ることになった。ぼくはなんとラッキーだったんだろうと思う。
70年代が青春時代だったすべての世代は幸福だ。
音楽だけじゃなく、文化、芸術、すべてを一度に、自由に知ることができたんだから。