そりゃあひどい三日間がやっと終わった。
まことに人というものはどうしようもない欲得、損得、自意識で生きている。
人とのつきあいは、こすれあい、きしむことばかり。
みっちりと動き回る仕事で、4時間で軽く1万歩を越えてしまう。
初日は戻って動けなかった。食欲も失せて。
二日目はもうすべての行動手順は把握できていた。こうなればあとは慣れである。
こういうのは仕事とは言わない、作業でしかない。
誰を使うわけでもなく、指示するわけでもなく、単純に今日の手順を終わらせればいいだけのこと。だがこんな作業の毎日はすぐあきてしまうだろう。



そういう単純作業のあと、送迎車を待つ外には、湯布院の空気と風と空と山がくっきりと、何事もないかのように存在する。



湯布院はぼくのいる平地世界よりもずいぶん早くに、晩秋の風が吹き渡っていた。


80b2ffe8.jpg



紅葉も早い。

71a06d71.jpg






もみじもすっかり赤味を帯び始めているし、風は涼やかで、乾いていた。

田園は黄金に輝き、広大である。




これを見ただけでも、来てよかったと思える。
いや、作業で来たんじゃない、むしろ湯布院を久々に感じたくて、この仕事場を決めたのだ。


目的はすでに達成できた。豪雪の真冬まで、来るような場所ではない。ぼくもそこまで物好きではない。


人と作業にはすぐにあきた。
しかし大自然には見飽きるということがない。

059bf36c.jpg


帰路で食べようと思っていた弁当に、手も出せなかった。
作業はいくらひどくても、やがてなれる。むしろ、何も考えなくて淡々とやっておれば、気も使わないでいいし、楽である。だからこんなのは仕事のうちには入らない。



しかし、田舎の人たちの、朴訥だが、洗練されない言葉たちが、都会で生きてきたぼくにはたまらなくつらかった。そこにはインテリジェンスもデリカシーもなにもない。ただ田舎びたにおいしかしないのがつらい。がまんできないと感じさせられた。それがこの職場の最大の苦痛である。やはりどうがんばっても人は好きになれない。



戻ってうどんを作りすするのが精一杯だった日々。
9b7426ea.jpg







0abe04a1.jpg


由布も最高のときをまた見られた。
もう充分、外界を味わった。






理不尽なタコ部屋作業はもうたくさんだ。







金はいらない。目の贅沢だけはさせてもらって感謝している。







大分の山々の秋は、素晴らしい。それだけを再確認できた。









人として 扱われることなき仕事場よ
            されど自然は 泰然自若


客観に生き、客観に死にたいと、心から感じた三日間だった。
彼らにはそれがない。自然の一部になってしまっている。それはそれで尊敬できる。
でもそれは主観でしかない。染まってしまったらただのカントリーボーイになるだろう。


ぼくがいる場所はなかった。