そりゃあひどい三日間がやっと終わった。
まことに人というものはどうしようもない欲得、損得、自意識で生きている。
人とのつきあいは、こすれあい、きしむことばかり。
みっちりと動き回る仕事で、4時間で軽く1万歩を越えてしまう。
初日は戻って動けなかった。食欲も失せて。
二日目はもうすべての行動手順は把握できていた。こうなればあとは慣れである。
こういうのは仕事とは言わない、作業でしかない。
誰を使うわけでもなく、指示するわけでもなく、単純に今日の手順を終わらせればいいだけのこと。だがこんな作業の毎日はすぐあきてしまうだろう。
そういう単純作業のあと、送迎車を待つ外には、湯布院の空気と風と空と山がくっきりと、何事もないかのように存在する。
湯布院はぼくのいる平地世界よりもずいぶん早くに、晩秋の風が吹き渡っていた。
紅葉も早い。
もみじもすっかり赤味を帯び始めているし、風は涼やかで、乾いていた。
田園は黄金に輝き、広大である。
これを見ただけでも、来てよかったと思える。
いや、作業で来たんじゃない、むしろ湯布院を久々に感じたくて、この仕事場を決めたのだ。
目的はすでに達成できた。豪雪の真冬まで、来るような場所ではない。ぼくもそこまで物好きではない。
人と作業にはすぐにあきた。
しかし大自然には見飽きるということがない。
帰路で食べようと思っていた弁当に、手も出せなかった。
作業はいくらひどくても、やがてなれる。むしろ、何も考えなくて淡々とやっておれば、気も使わないでいいし、楽である。だからこんなのは仕事のうちには入らない。
しかし、田舎の人たちの、朴訥だが、洗練されない言葉たちが、都会で生きてきたぼくにはたまらなくつらかった。そこにはインテリジェンスもデリカシーもなにもない。ただ田舎びたにおいしかしないのがつらい。がまんできないと感じさせられた。それがこの職場の最大の苦痛である。やはりどうがんばっても人は好きになれない。
戻ってうどんを作りすするのが精一杯だった日々。
由布も最高のときをまた見られた。
もう充分、外界を味わった。
理不尽なタコ部屋作業はもうたくさんだ。
金はいらない。目の贅沢だけはさせてもらって感謝している。
大分の山々の秋は、素晴らしい。それだけを再確認できた。
人として 扱われることなき仕事場よ
されど自然は 泰然自若
客観に生き、客観に死にたいと、心から感じた三日間だった。
彼らにはそれがない。自然の一部になってしまっている。それはそれで尊敬できる。
でもそれは主観でしかない。染まってしまったらただのカントリーボーイになるだろう。
ぼくがいる場所はなかった。
コメント
コメント一覧 (1)
あごでひとを使う。管理職の上司はあたりがやわらかかったが、責任者は全員場当たり。
用意しているといったユニフォームもなしで、そのうちくるからと。
送迎は「さっさと降りろ」の扱い。明治時代さながら。あたかも半場であった。職場環境最悪。従業員はぐちだらけ。
おまけにいやがらせまである。掃除機をかけ終わった部屋を再点検すると、いきなりごみを落としてあった。外国人アルバイトとは言語普通のものばかり。もっぱらぼくが通訳という状態。ITで挫折したおたく青年がひとり。あろは農家の後家さん、ばあさんたち。和気藹々?とんでもない。さっさと仕事を済ませたいばかり。
まったく数さえそろえればいいだろうなていたらくだった。あきれてへたりそうになる。おまけに腰はいたい。
24の満室だった部屋をたった四人で片付けるだけの日々。人権もへったくれもない。常務に直接「ふざけんな!」である。
kawakatu
がしました
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