フォークル解散のときすでにシューベルツを立ち上げていたはしだ。その後クライマックス、エンドレスと新バンドを立ち上げ続け、必ずそこでヒット曲を出した。

さて、ぼくの通った大学のすぐそばに家があったはしだだが、では代表曲は一曲といわれるとまずはやはり「風」だとなるだろう。

フォーク・クルセダースに彼が加わったのは、オリジナルフォークルがメジャーデビューすることになって、メンバーが次々やめたあとで、いわゆるオリジナルメンバーだったわけではない。「帰ってきたヨッパライ」のアンダーグラウンドヒットで、にわかにメジャーとなったときに、急慮、加藤和彦が大学そばに住むはしだを思い出し、ばたばた頼んだときからであるとはしだは過去語っている。
だからフォークル時代のヒット曲は、はしだの作品とはいいにくい。

その後「何のために」「戦争は知らない」「さすらい人の子守唄」「風」「花嫁」「嫁ぐ日」などと、次々にオリジナル曲をヒットさせる。

背は低いが、声は高く、抱えたギターに顔だけ出したような、決して男前とはいいがたい(お笑いの蛍原にそっくり)風貌と、飄々とした性格で、長くフォーク界に存在感を示してきた。しかしパーキンソン病にかかってからはほとんど露出も無くなり、フォークル再結成コンサートにも出ることがかなわなかった。

結局、加藤和彦は先に旅立ち、はしだも逝った。残ったのは九大医師・教授だった北山修だけが残された。彼とてすでに大学は辞め、現役ではなくなっている。そういう年齢になったということなのだろう。しかし72歳は早い死である。


さて、送る曲になにを選ぼう?


さすらい人の子守唄 はしだのりひことシューベルツ



戦争は知らない フォーククルセダース





では病気の最中に出演した京都フォークデイズの北山修らとの思い出の語りを最後に







あの世でもあんじょうやってや。
加藤和彦によろしくね。















転載元: 民族学伝承ひろいあげ辞典