夏のごはん、汗でます。
さっぱり食べたい。

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大葉、ミョウガ、ゴマ、たたき梅干、ちりめんじゃこなどをぱらりとやって、まぜまぜしただけ。梅が入っているのでさっぱりとかんたんなお寿司の一種。

たくあんなんか刻んでもいいね。


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お米は麦飯である。
おつうじにも、血糖値を下げるにもよかですたい。



寿司とは言ってもまぜごはんである。
はじまりは江戸。
最初はファーストフードで、屋台から。
昔は、職人たちが腹を太らせるものだったので、ネタもシャリも大きかった。ネタは江戸前。江戸前とは東京湾でとれた魚と言うこと。

アサクサノリって知っていますか?あれ浅草の海苔です。東京で海苔を作れていた。今の海苔はほぼ有明海などから取り寄せて作る。

そういうものって今はざらにある。
宇治茶を栽培しているのはもともと宇治ではなく、相楽や八幡だったが、それでも近隣。今は静岡に出張所がある。

伯方の塩や瀬戸の塩の海水はメキシコ湾のもの。

「花は霧島、タバコは国分」だったはずが、鹿児島の国分に今はもうタバコ畑はない。

まあ、しかたがないか。





そういえば季節感も随分違ってきたな。
真冬にアイスだしね。
歳時記って言うんだが、今や、形だけね。
そもそもサクラだって咲く時期がずれはじめていますしね。
入学式にサクラなしですわ。

思い出した。
七五三があるでしょ?
歴史学で七五三という言葉があるの、知ってますか?
日本に国家と呼べるもの・・・律令体制のめばえですけどね、それが始まるのはいつか?で、それの説に七五三説がある。

3=3世紀 邪馬台国時代から
5=雄略天皇時代から
7=天武さんの8世紀からやっと


ま、5が妥当だとされてます。
ぼくは7で、天武さんの前の孝徳~天智さんでいいかと思えます。



寿司でしたな。
まぜごはんはいつ誰が考え出したか、なんて言っても、そりゃあお母さんでしょうになりそうですが、多くのアイデアは江戸期、戦後の二回の画期がありました。食のすべてにそれは言えそうです。

江戸期は職人文化で安定した収入を町人が得るようになり、さまざまのファーストフードや料亭料理が出現。戦後はものがなくてアイデアが勝負だった・・・。


全国にいろいろなまぜご飯がありますが、どうも関東以北に、なんだか物資が少ない時代があって、北関東から東北、北海道の料理で、名前は同じなのになんかこう違う・・・というものがたくさんありますな。

赤飯の豆が小豆じゃない、食紅で色付けして、妙に甘いものとかですな。みたらし団子が団子じゃなくってまんじゅうだったり。全国でタコは脚を食うのに、北海道だけは頭が大好評とか、いちいち変ですな。


あれって、要するに、小豆は相場があって高級品だったとか、タコの脚は都会へ出荷するからどうしても頭だけ残るとか、寒冷地ではもち米ができにくくて小麦を代用するとか、そういうことが原因ですわなあ。貧しいこともあるでしょうし、江戸や髪型で本物がうまかった、なんとか似せて・・・という涙ぐましい工夫でしょうね。ぐすん。

特に砂糖や小豆なんかは高級品でしたからねえ、戦前まで。

いあや北に限らず、地方はどこも貧しかったですから。お店で出てくる食べ物に、勘違いしたものは多かったわけです。かさをふやすことに主眼がいってたり。なんでも卵でとじてあったり。

博多ラーメンの屋台のどんぶりは小さいでしょ?あれなぜ?
ぼくのいた大分でも小さかったですよ。
ラーメンは戦後登場した麵です。当時はものがない。そして麵はおやつでした。ラーメンで腹を一杯にするとは考えられてない。おやつだからちょっとでいい。そもそも食材がない。だからじゃないでしょうか?


ぼくは今でもラーメン屋に並んでまで食べるとか、一杯1000円以上もするラーメンなんかおかしいと思ってますね。ラーメンは一杯300円までで、三時のおやつに食べるものですよ。今の東京は変でしょう。ああいうのはでっかい外人用麵だなあ。


西日本にはそもそも行列を作るという風習はありませんでした。東京だけです。行列を作るのはロシア人と東京都民だけですわ。で、頭が高いよね。東京のお店やさんはみんな。変なところだよ。銀座のすし屋が悪いんだね。商売人が腰を折らなくなったらぼくはもう行かないね。



昔はなんで出汁とったかわかんないような闇市の屋台から始まったものだぜ。



高級感を出して単価を上げて、楽して設けて海外行きたい、うまいもの食いたい・・・安易な考えに、行列してるなんて、客を馬鹿にしてる証拠だよ。ロシアに行ってください。