真夏の体躯の衰退から、涼しくならない九月を過ぎて先月末の突然の寒さや雨模様の中での重い風邪、そして今月初から始めた庭木の剪定による心地よい疲労感と、今年は季節に翻弄され続けた感がある。

そして11月。
ようやく街の隅々まで秋色がいきわたる本来の日本の秋となった。
雨をはさんで総じて今月は小春日和の暖かな九州だ。

天気図はまだ明確な西高東低とはならず、南の海には台風まで発生した。低気圧が列島中心部を縦列に並び、フィリピンのあたりにある低気圧は、西日本に暖かな温風を運んでいる。そのために偏西風は北海道のみに吹き荒れ、ひとり北国だけが大雪ブリザードとなった。

外を歩き戻ると我が家は暖かいというよりも暑いほどである。

ところが夜ともなれば気温はがくっと下がる。





一昨日、朝から天気もよく、剪定した枯葉や枝をえっちらおっちらと汗だくでゴミに出し、それでもまだ半分以上残っている。やめた会社の同窓会みたいなパーティがあり街へ向かったが、そのころから空模様は怪しくなった。

ついでに会社訪問して面接を受けたり、市民図書館やハローワークへも立ち寄ったりでけっこう歩き、剪定疲れが出て歩みがよどむ。

昨日、今日はそんなこんなで家でゆっくり骨休めしている。

市街地はまだもみじとはいかず、それでもさまざまの街路樹は色づき、落ちはじめてもいる。


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公園に吹きだまる落ち葉は、あきらかに秋から冬への移り変わりを知らせていた。


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けやきだろう。
庭木を当たっていると、樹木にもさまざまの性格があることに気がつかされる。
歴史を好むものには、そういうことすら貴重な資料になるものだ。
例えば常緑樹よりも落葉樹のほうが、剪定は楽で、枝もぽきりと折れやすい性質がある。常緑樹は枝に水をたくさん持つからか、粘り、しなりがあって容易に手でたおることができないものが多い。

今回、特に短くした金木犀などは、細かくしてゴミ袋に収めるのに往生した。二日もかかったのである。しかしかえでや桜の枝は簡単にぽきりと折れるから、一時間もあれば片付く。

そういう植物の性質について故・森浩一先達は、邪馬台国対談の中で「鉄の木と呼ばれていた木があるんです」と、纒向遺跡発掘の泰斗だった石野に言っている。鉄のように硬い木とは、樫などのことかと思う。それでふと、ゴルフの素材になる柿木がやはり固いとされているのを思い出したのだが、実際に切ってみると、枝は簡単に折れる。茶事で釜を置く炉の四角い縁に使われる柿だが、ゴルフではパーシモンと言ってドライバーヘッドに使用される。しかし思ったほどやっかいに硬い木ではないのだ。そうか、ただ硬いだけよりもボールを遠くへ運ぶ柔軟性も必要なんだろう。

鉄の木は、鉄器が入るまで、農具として重用されており、江戸時代でもまだくわやすきに使用していた。

弥生時代をかつての学者は稲作で時代区分していたが、今ではそれは金属や弥生式土器の編年によって分けることが多くなった。石野も、金属の重要性を言うが、邪馬台国に関する纒向遺跡などでは九州の進んだ土器や金属器がないから、奈良の橿原研の寺澤薫ほどには九州の金属の重要性にピンときていないようだった。

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つまり近畿の文化は、九州よりも、直接の渡来が起きて生じた可能性があるということである。ぼくはそれは出雲~吉備という割り込み型の渡来があったことを想像させてくれる。






おっと、ついつい古代史について語ってしまう。




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秋色の街を歩きながら、深まる季節に身を委ね、さまよっていると、いろいろなことが整理できてゆく。散歩はだから大事である。





家に帰り、柿の実やリンゴを食べることが多くなった。

ぼくはリンゴはさほど好きではないが、最近ではじめた品種の秋映というのは大好きである。


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甘くてサクッとしていて軽い。

スターキングのサクサクと、ジョナゴールドの酸味と、ふじの甘みを兼ね備え、色は紅が濃く、信州リンゴさえ思い出させてくれるリンゴだ。

塩水に浸して楽しませてもらっている。



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明日も小春日和だと予報は言っている。
月曜に一度また崩れるらしいが、気温は高く、冬バージョンにした室内が日中は暑い。


そんなおだやかな秋の九州にあなたもどうぞ旅してみてはいかがだろう?
山に登ればすでにもみじ葉は色づいていることだろう。