この15日はもう中秋である。

カンタンの音をお聞かせしたい。




この虫をカンタンと呼んだのは、ぼくの想像では漢文の素養がある武家ではなかったかと思う。


カンタンとは「邯鄲の枕」の邯鄲からだからだ。
秋の虫の成育趣味は江戸期の武家には、釣りなどとともに確かにあった。


「和名は中国の古都邯鄲から来ている。中国では天蛉と呼び、このことから日本に『邯鄲の枕』という物語が伝わってから名前がつけられたのであり、そのとても美しい鳴き声とその透き通る様な半透明な姿や成虫としての短い寿命を栄枯盛衰や儚さに例えて名付けられた。それ以前に和名があったかは定かでない。また、夏の終わりから晩秋まで約2ヶ月近くその音色を聞くことが出来るが、個体としての成虫の寿命は短い。」Wikiカンタン

の時代に「廬生」という若者が人生の目標も定まらぬまま故郷を離れ、趙の都の邯鄲に赴く。廬生はそこで呂翁という道士(日本でいう仙人)に出会い、延々と僅かな田畑を持つだけの自らの身の不平を語った。するとその道士は夢が叶うというを廬生に授ける。そして廬生はその枕を使ってみると、みるみる出世し嫁も貰い、時には冤罪で投獄され、名声を求めたことを後悔して自殺しようとしたり、運よく処罰を免れたり、冤罪が晴らされ信義を取り戻ししたりしながら栄旺栄華を極め、国王にも就き賢臣の誉れを恣に至る。子や孫にも恵まれ、幸福な生活を送った。しかし年齢には勝てず、多くの人々に惜しまれながら眠るように死んだ。ふと目覚めると、実は最初に呂翁という道士に出会った当日であり、寝る前に火に掛けた粥がまだ煮揚がってさえいなかった。全てはであり束の間の出来事であったのである。廬生は枕元に居た呂翁に「人生の栄枯盛衰全てを見ました。先生は私の欲を払ってくださった」と丁寧に礼を言い、故郷へ帰って行った。
中国においては粟の事を「黄粱」といい、廬生が粟粥を煮ている間の物語であることから『黄粱の一炊』としても知られる。いわゆる、日本の落語小説漫画でいうところの夢オチの代表的な古典作品としても知られる。
同義の日本の言葉としては「邯鄲夢の枕」、「邯鄲の夢」、「一炊の夢」、「黄粱の夢」など枚挙に暇がないが、一つの物語から多くの言い回しが派生、発生したことからは、日本の文化や価値観に長い間影響を与えたことが窺い知れる。現在ではほとんどの言葉が使われる事がなくなっているが、「邯鄲の夢」は人の栄枯盛衰は所詮夢に過ぎないと、その儚さを表す言葉として知られている。」同邯鄲の枕



聞けばなるほどはかなげで夢枕の声である。




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お茶事、懐石に使う和菓子のようでもある。








茶菓子では、ぼくは有平糖が学生時代からお気に入りで、その黒漆に浮き立つような透明感をめでるのが好きである。





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たいがいはこのように小箱に入れられて売られている。



名前の「あるへいとう」「ありへいとう」は
語源にはポルトガル語のアルフェロア(alféloa;糖蜜から作られる茶色の棒状の菓子)とする説とアルフェニン(alfenim;白い砂糖菓子)とする説とがある。[1]
ま、ポルトガルが伝えたキャンディである。



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落雁も美しい。


和菓子は、意地悪く言うなら、素材は砂糖と小豆とグルテンなどであって、味はどれも画一的なもので、世界の菓子の中でひいでているのは、唯一その季節感をこまやかに取り込んだ見た目の繊細さだけである。

季節の「感触」を形状に象徴させ、あるときはそれをデフォルメし、外見上、世界にまれに見る繊細さを創り出すのが和菓子である。

そのデフォルメ、象徴主義には、現代の漫画やアニメに通じる感性が見える。



日本人はまさにデフォルメのエキスパートである。




その感性は、すだく虫の音にさえ季節を集約させる。




その根源をさぐりさかのぼれば、やはり古代から倭人が追いやられて集まった敗者だったことに気がつかねばならない。


大陸に背を向け、ひたすら内向きに生きた結果なのだろう。





































それが今問われている。