今年初めてエアコンをつけた。
暑いからじゃない。
かゆいからだ。

猛烈な雷雨が続き、庭ではうどんこ病が白い粉で草木を覆う。
つまり、とっても蒸し暑いからで、室内ではダニー・ボーイ君たちが活性化する。

朝はそうでもなかったけれど、夕刻、うとうとして目覚めるとなんかかゆい。
足にぶつぶつができている。

仕方なく除湿を入れた。






ぼくがこれは美人だと思う女優は?
美人というのは人それぞれ感じ方が違うだろう。
あくまでもぼくの・・・である。

1 井川遥
2 ミムラ
3 仲間由紀恵

ま、まっとうな答えだ。
いわゆる日本人好みの「かわいい」顔つきの人たちではない。正統派の美形な人たちじゃないかな?

あなたはいかが?

光っている。輝いている。花がある。
という基準かな?


個人的な好みとは別である。






料理を記事にすることをあまり好ましく思わない男性がいる。
今日食べた食事を記事にすることに、彼らは意味がないと感じるらしい。
ぼくは意味があると思っている。
なぜって、昨日食べた食事を忘れてしまう年齢になったからだ。

自分で料理を作ることに多くの男性が意味を見出せない。それは精神のプアだと思う。


あらゆるものから想像が生まれる。
料理には刺激がある。

男はそれをひけらかしだと思うのであろうか?
ならばそれはプアでしかない。

食はすべての人間行動原理の源である。
人類は食べるを工夫して生きてきた。
土器を開発し、炉を工夫し、やじりを尖らせ、より効率的素材を求めて移動した。
人間なんて結局食うにはじまって、食うに終わる。
その業を知るためにも男はもっと厨房に入らねばならない。



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安い肉は細かく包丁を入れてから焼く。








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サバイバルでも、戦争時でも、災害時でも、自分で食をまかなえることは原点であり、それができないボランティア集団は、被災地で迷惑がられるのである。


料理ができるということは、ひとりでも生きていけることの原点であり、もちろん魚肉も確保できる能力も必需であるが、結果的に、調理のワザのないものは、今夕なにをどう料理するかという発想力によって生きながらえる可能性をいっそう高くできないのである。


なにもかにも家事を女に頼る男は、女房に死なれるとすぐに死ぬ。


家事の楽しさは創造性にあふれている。



食を馬鹿にするものは食で死ぬ。