もしこの地球上に霊魂なるものが本当にあるならば、なぜ、虫やアメーバやライオンの霊魂を見たというものはいないのだろうか。
もしそれらの霊魂も存在するならば、地球は数回の生命の破滅的大打撃を受けて、あらゆるいのちが滅んだにも関わらず、それらの霊魂が「観た」という話の中に一切登場しないのか?
あるいは、本当にすれらのすべての霊魂が、すべてこの世界にあるならば、ぼくたちの生きている周辺は、彼らの霊魂で満ち溢れ、充満し、息をするすきまもないはずであろうのに、なぜそうではなくて、出てくるのは人の霊魂ばかりなのかを、あなたは証明して見せねばならない。
もし祖霊というものが身近にあるのなら、なぜそれは子孫をあまねく守らないのだろう?なぜ人によって、あわれな生活をしいられ、差別され、区分されてしまうのだろう?祖霊があるなら、祖霊にさえ、階級の上下があるというのだろうか?そんなものならば、果たしてそれは信用に値するものなのか?
生き返るを言うものがいる。再生すると宗教が言う。ありえまい。
なぜなら、ある程度の年齢になって、人はおしなべて死を望むようになる。そこに安楽があると思う。なぜそう思うのか?この現実の世界が、いかに人にとって厳しいからにほかなるまい。
霊魂や祖霊があると信じる者は、本当に人間に優しいものなのか?ぼくは問いたい。
優しさとは、究極の優しさとは、死んだらもう次がないことではないのか?
それこそが安息だと自分は思う。
霊魂があるなどは、不幸なものたちへの、一種の差別である。人は、他人の不幸には耳を傾けるが、幸福には耳は傾けない。いかに自分が霊に護られ幸福かという主張など、大多数の人は興味がない。それをみて、聞いて、では自分にもと考えさせている段階でもう詐欺師である。不幸を笑い、自分の優越感にひたるための道具にしているだけだ。
食い物のほうがよほど罪がない。
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kawakatu
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